河島英五のこと

My History (ダンスと歌の話)
2

そもそもが二人とも、英五さんと私ですが、学生でアマチュアやった時、私の高校時代の後輩の、お姉ちゃんの彼氏がフォークソングやってる〜と聞いた。このお姉ちゃんが、のちに彼の奥さんになった。多分、近鉄奈良線の若江岩田あたりの市民会館の会議室のようなところで、コンサートのようなものがあって、そこで初めて河島英五さんとお会いした。多分、2人もと10代。たまたま、彼の実家と私の実家は車で15分とかからない距離でした。なので、若い時は良く英五さんは、私の実家まで車で迎えに来てくれた。彼はとても純粋で心根の優しい人でした。時、私は多分すでにデビューしてたような気がする。英五はその時は仲間たちとホモサピエンスなるグループで歌っていたと思う。メンバーは新井さん(パーカッション・ビブラフォン)、木下さん(ギター)、英五の弟のてつ君(ベース)やったかな?! …と思う。このコンサートらしき集まりには、サニーサイドアップ、フォークチーズなるグループも来ていた。このサニーサイドアップのリードボーカルが金田さんで、のちに我がアイエスピーのマネージャーとして一緒に仕事をさせていただく。彼はのちに上京して、TVプロデューサーとして活躍される。このブログを読んでいただいている50歳オーバーの方なら、誰しもが彼が作った番組を見ておられると思う。
そして、フォークチーズと名乗る4名の若者達はのちに3名で、NACと名乗る。NACは正式にはとてもカッコいい名前でニュー・アコースティック・コーラスバンドという。(笑)
縁は異なもの味なもの…。この時代、こんな風になるなんて、誰も思っていなかったと思います。唯一、そう思っていたのは、時の、英五さんや、あのねのねや、NACや私が所属したペップの社長、創始者の中川さんだけだと思います。中川さんはよく私に、今、こんな風やけど、いつかみんなが有名になって、この京都レーベルはすごい会社やったや〜と言われる日が来るかも知れん〜って。この京都レコードさんに私は18、9歳から24歳までお世話になった。シンガーソングライターとして、あるいはスタッフとして。その社長の中川さんはいつの日か蒸発された。そして、英五さんが天国に行った。それから何年か経ったある日、中川さんからお電話いただいた。英五さんのことでぜひ相談に乗って欲しいとかなんとか、ここのくだりは書きたいけどヤメときます。
日本の著作権の扱いって何なんやろね〜。曰く言い難しです。
どういう経緯でそうなったか、さっぱり覚えていないのですが、とにかく私が時のペップ、のちの京都レコードの中川さんに英五さんを紹介した。最初は河島英五とホモサピエンスで活動されていたが、ある日、中川さんが、英五さんだけをソロにしたいとおっしゃった。英五さんはとても悩まれていたように思うが、結局は中川さんに口説かれてソロになったと思う。このホモサピエンス時代にあちらこちらのブログでも書かれているとおり、あのねのねのバックバンドもされていた。これも中川さんの仕業。この頃、英五さんは所謂下積み時代だったのかな〜と思う。あのねのねは人気絶頂で、どこの土地に行っても満杯のファンで埋め尽くされていた。
河島英五はほぼ無名の人でした。私はすでにスタッフになっており、舞台監督の真似事みたいな、一行隊長のような。英五は大きな体の割には、繊細な人で、とても綺麗好きで努力の人でした。いつもノートを持ち歩いておられて、ツアーの車中、良くノートをつけておられて、なにしてるんと聞くと、「作詞みたいな〜。毎日、一曲ずつ作ろうと思って、俺は才能がないから、とにかく作ろうと思わないと、自然に歌詞やら、メロなんか湧いてこないもの」と言う。と思えば、タバコを一本吸うたびに、ノートを出して、正をつけていて、今日は何本目や〜とか、「かたやまぁ〜ん、これこの一、二週間の記録ですわ〜」とタバコ記録を見せてくれた。そんな時にできた曲が、「青春旅情」や「雪が降っています」やったかな?!いずれもあのねのねが歌った。そうそう、沢田研二さんが歌った「いくつかの場面」と言う曲も英五の曲ですね。そんな英五さんの、私にとっての一番の思い出は、当時、表参道のマンションの一室に、みんなで泊まっていた時期があった。いつの日やったか、2-3時間しか眠れないツアー中に、みんなが寝静まったその時に、風呂場から水の音やら、物音がする。「えっ」と思い、起きて確かめに行くと、英五がお風呂で、あの大きな体を折りたたむように座って、自分のソックスやら下着を洗ってる。「もうこんな時間やし、そんなんせんと寝た方が…」と声をかけると、彼は、「汚いものが自分のカバンに入っていると思うと、耐えられへん」と言う。「でも濡れたまんまや〜」と食い下がる私に「けど、ビニールの袋に入れて、明日のホテルで干しとけばきれいやん」と言う。そんな繊細な人でした。その日、私たちは2-3時間寝たが、英五さんは多分1時間ちょっとしか寝られなかったと思う。
心からご冥福をお祈りいたします。

ボーカルは新井さんですね。私にとっては懐かしい曲です。

私が20代の頃の懐かしい名前がいっぱい、テレビとかかわりを持った時代を思い出しました。
君が英五さんと出会った頃は、僕はアングラ劇団を主宰していた演劇青年の頃。食えないのでバイトでテレビドラマの番宣用シノプシスを書いていたかな。これがきっかけで台本書くか、自分で書いたんやからADも手伝って、社員になり~やてな調子でテレビに侵されて(?)いったっけ。
英五さんとじっくり話したのは乾杯トークソングという番組をやっていたころ。気功と人体の神秘について二人で盛り上がってしまい、ええ加減にせいと注意されたのを覚えています。
誰かの思い出話を聞くと、その向こうに自分が見てくるもんだね。なんか余計な話を書いてしまいました。ご無礼。

そうでしたか〜。英五さんは肝臓を悪くして天国へ行ってしまいますが、その時にお医者さまより頼りにしたのが、その気功をされる方のようでした。
確かに、私もまたその気功のおかげもあって、元気になれたかなと思っています。英五さんの先生は関東方面の方だったそうですが、私の先生は宝塚あたりです。確かに体の調子が良くなります。その先生が言うには記憶を書き換えるんだそうです?! 体ってまだまだミステリーですね!?

2件のコメント

コメントを残す

ダンスのイラスト
My History (ダンスと歌の話)
「ヨゴレ」って言う芸能界用語、みんな知ってる?!

私が若い時には、良く「ヨゴレ」になったらおわりやで〜と言われたものです。私の両親が私が歌手になること …

シニアバレエのレッスン風景
My History (ダンスと歌の話)
ダンスの効用 – アンチエイジング

私を大病(悪性リンパ腫)から救ったのは、もちろん先進医療や、気功や、たくさんの人達にたくさんの愛をい …

My History (ダンスと歌の話)
2
リクエストにお応えして、YouTube !!

いつもよく行く、ラーメン屋さんのお兄ちゃんが、先のシンガーソングライターの記事読みましたよ〜って、調 …