モラルハザード

どうも話が噛み合ない。どうであれ、心が通わない。彼女は「はい、はい。」って、素直風に言うけど、他人事のように話を聞いている。あげくの果てに「私ってダンサーじゃないって…」って意味不明な事を言う。
遂に、「なぁ〜、幸せなん?!!」って、思いもかけない言葉が私の口から飛び出して…、心の中では、「うち、何言うてんねんやろ〜」って…。じゃ〜、彼女の目から涙がいっぱい溢れて、うつむいた…。

何がどこでどうなったかは知らないけど、何か無理がある。無理に無理を重ねて、精一杯、この大阪の地で頑張っているうちに、何か一番大事なものを見失ってしまったのではないか…と思う。もしも、彼女の心に届くものなら、半年か一年くらいは実家に帰って、ぼっ〜とした方が良い。そんな時間が自分を取り戻す為に必要だと思う。

多くの若者が、早いうちから自立して、夢いっぱいに自活する事は、一面とても美しい事だけれども、反面、とてもリスキーでモラルも糞もあったもんじゃない生活になってしまう。
頑張る人ほど、そうなりやすいように思う。本人は、自らの夢に向かって、世のため、人のために一生懸命働いてるつもりだけど、実は自分の事しか考えられない。何よりも収入が必要です。故に、何か一番大切なものを捨てていってしまう。さらに大きな問題は、そんな自分に気づかない。
そこを気づいて欲しいと追求すると、有体離脱を計る…。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、次に無表情になる。怒りも悲しみも反論もない。

最後に、彼女は、今、自分は正常ではないと思うと言う。

その昔、私はギターの先生と歌の先生をした経験がある。(余談ながら、かの有名なOSMでも講義をもっていた事もあった) 昔の事で、いずれも半年ほどの代行と言うせいか、契約書なんてものはなかったし、何かのガイダンスもなかった。それでも、私は、いずれ元の先生が帰ってこられた時に、その先生に気持ちよくクラスを戻せるように努力した。こんな私でも、3ヵ月も代行をさせていただくと私にファンがつく。それでもって、元の先生やスクールの悪口を言う人が出てくる。だからと言って、私はそれに乗るような事はなかった。何故なら、そんな彼等と出会えたのも、その先生やそのスクールがあったから…。また、彼らは初心者ながらも、ギターもそれなりに弾けるようになっていた。弦の押さえ方も正しいし、ギターの持ち方も正しかった。ならば私は只の受皿で、それ以外の何ものでもないと思っていた。私のクラスを開講せよって言われても出来るもんじゃない。また、改めて…と応えた。別にその先生と特別な付き合いもなかったし、教えが嫌いな訳でもなかった。ただ、単純に、それはしてはいけない事と勝手に思っていた。ましてや、彼等に他のスクールを推薦するなんて想いも寄らない。

代行と言えども、3ヵ月もすると自分のクラスのようになってしまう。やがて半年が過ぎ、元の先生が帰ってこられる時、生徒である人達は、私に別れを惜しんだ。
もっと良いスクールがあれば紹介して欲しい、或は、私に個人レッスンを望む人もいた。気の合う情熱的な生徒さんには、もっと上手くなって欲しいと思った。しかしながら、だからと言って、自分の立場を考えると、あっちが良いよ、こっちが良いよとは、口が裂けても言えない。そのスクールに雇われていながら、他のスクールを推薦するなんて事は出来なかった。それは、ソニーで働く人が、東芝の製品も良いですよ〜って言うようなものです。少なくても私はそう思っていた。もしも、その人達と飲み屋で出会ったなら、あっちが良いよ、こっちが良いよって、ペラペラ雄弁を奮っていたとも思う。でも、そのスクールに雇われていながら…と言う立場では、あきらかにモラルに反すると思っていた。

生徒である立場から考えると、生徒である人は誰のものでもない。もっと良いレッスンがあれば、そちらに替わりたいのは至極当然。でも、教える立場から行くと、誰の生徒であるか、誰の生徒であったかは大きなファクターで、それを外しては、「教え」が正常には進まないのも事実です。

彼女はスタイルが…と言う。果たしてスタイルの問題だろうか??
スタイル以前に基礎はちゃんと教えているのか…と言う私の質問に対しては黙ってしまう…。
どんなスタイルにも、それなりに基礎や哲学が必要かと思う。その辺りを話し込むと「私はダンサーじゃない…」これでは話にならない。

本質的には、普通に真面目にやっている先生ならば、自分のジャンルや誰のスタイルに影響されたかはハッキリ言えても、今の自分のスタイルがどんなスタイルかは定かではないと思う。恐らくは、人がそう言うから、自分は、そんなスタイルかな…ぐらいでしかないと思う。それがオレのスタイルだから…と言う時には、むしろ、他を受け付けない時に言う事が多い。

そう考える私は古く時代遅れなのでしょうか???
ならば、私は時代おくれが良いです。
自分が本来持つ良心を殺してまで、仕事をしたいとは思いません。

もしも、そんな事言ってたら、今の世の中、食べて行けませんと胸を張る若者がいたら、教えてあげよう。そうならない為には、その事について、人の2倍も3倍も勉強し努力する事です。バイトで疲れ、ダンスで疲れ、それはそれは大変な時間を過ごしていると思うけど、それでも勉強する時間はある。ゲームする間に、メールする間に、友達としゃべる間に、そんな細切れな時間を活用して下さい。いくらでも勉強出来るものです。
グローバル化が進む現代で、今後、生き残れる人は、learner (学ぶ人)だそうです。
学ぶ事に終わりはありません。果てしなく学び続ける事です。

P.S. この記事を読まれて、あ〜あの事かな…と思われているFWDS会員各位に…
この度は、大変ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。
ここに陳謝致します。以降、このような事のないように、システムを見直します。

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